【読書メモ】59-2ダイヤ改正 国鉄貨物列車大変革期 (イカロス・ムック)

どうも、夕方に30分庭作業をやっただけでふらふらになりかけたnaka-staです。猛暑日が悪いのか体力がないのか、両方なのか…

さて、今回は鉄道貨物輸送全盛期の様子を知りたくて借りてみました。個人的に、新たに得られた知識などをメモとして残しておきます。

北柏駅は貨物取り扱い駅であった

常磐線の北柏駅といえば、新大利根橋を渡って守谷へ向かうバスの乗換駅というイメージが強く、緩行線の駅なので、貨物取扱駅だとは思ってもみなかった。常磐線複々線化に伴い、柏駅や我孫子駅の貨物を集約する貨物駅として開業し、複々線化時に請願駅として地元負担で旅客開業、自分が生まれた1984年には貨物取り扱いを廃止していた。確かに、下り線を乗っていると、高架の引き上げ線が現れたり、我孫子駅までの間に待避線があったりするのは気がついていたが、我孫子駅での車両運用に必要な施設としか思っていなかった。

碓氷峠区間では1906/05〜1914年の磐越西線開通まで石油パイプラインがあった

この時代は新潟で算出される石油を関東に運んでおり、唯一の輸送経路であったのが、現在の信越本線で、その中でもいまはなき軽井沢〜横川の碓氷峠区間はアプト式で輸送力のボトルネックとなっていたそう。人も荷物も運ぶしかないが、石油は液体なので、パイプラインを敷設することで軽井沢で卸して横川で積み直すという形で対応できたとのこと。
横軽が輸送力のボトルネックとなっていたのは知っていたが、パイプラインが敷設されたことは知らなかった。また、パイプラインを廃止するきっかけとなったのが磐越西線というのが面白い。今でこそローカル線のイメージが強いが、清水トンネルを経由する上越線が出来るまでは重要な物流ルートだったのだなぁと。

大阪市場駅が野田駅付近に、京都市場駅が丹波口駅付近にあった

築地をはじめとした、全国の主要市場に貨物線が延びていたことは知っていたが、上記二駅から貨物線が延びていたことや隣接していたことは知らなかった。そもそも、吹田から分岐している鳥飼の新幹線車両基地のそばが大阪市場だと思っていたが、あちらは「大阪府中央卸売市場」で、野田にあるのは「大阪市中央卸売市場」とのこと。いずれも「市場」は今もあるので市場の位置を知っていれば何でもないのだろうが、この本を機会に「市場」の位置を知ることが出来た。

郡山操車場に1日200本の貨物列車が発着していた

ヤード入替作業を自動化した操車場として紹介されていたが、一番印象に残ったのが、「1日200本の発着」というところ。折り返しもあるので、単純ではないと思うが、単純に考えれば、片方向1日あたり100本であり、1時間あたり4本以上という計算に。
今まで、鉄道貨物が物流を一手に引き受けていた時代といっても、今よりも総量は少なかっただろうから今の鉄道コンテナ+αくらいのものかと思っていたのだが、地方都市の郡山で1日200本も捌いていて、当時は旅客も特急から普通列車まで走っていたので、「輸送力不足」というのがようやく実感出来た。先日読んだ高速バス進化の軌跡のなかに、国鉄バス設定理由のひとつに「補完」として旅客列車が増発できない場合にバス路線を開設していたとあり、俄に信じられなかったが、今よりも施設が貧弱であった当時であれば十分にあり得たことなのかと納得。

貨車や操車場の話がメインで、小さい駅での入替などには触れていない

個人的に一番知りたかったのは、小さい駅での入替作業などであったが、その辺には触れられず、操車場についてや、特殊な貨車について詳しく書かれた本でした。

 

「自分で買うにはちょっと高いムック」を試し読みできるという意味で図書館っていいですね。
そして、幸か不幸か、通勤時間が長いので読書時間がしっかりとれるという…
また図書館で別の本を借りてきたので、バス→鉄道と来たので次は道路の本を読んでます…